第1章 はじめに

「かくばかり みにくき国に なりたれば…」

私は大正時代に生まれて大東亜戦争も戦いました。
戦後はソ連に5年間抑留され亡国の末路を味わった経験者です。
80数年の生涯をふり返れば晩年に至って残念なことばかりになりました。
久しい間我慢していましたが、もう耐えられない思いがします。
例えば、果して日本は侵略戦争をしたのですか。
戦争末期ソ連が「日ソ中立条約」を犯して大侵略したことは忘れたんですか。
満州も北朝鮮も樺太も千島もアッという間に侵略してしまいました。
そればかりではありません。
欧米諸国は過去約百年にわたってアジア、アフリカを植民地にしていました。
この事実を米、英、仏等の教科書はカラーの歴史地図で誇らしげに紹介しています。
日本はこれらの植民地勢力を排撃(東亜解放)するために戦ったのです。
侵略のために戦った日本人は一人もいません。
日本の首相が「侵略戦争をした」と言ったら、
首相自身が歴史と日本国民に対して大嘘をついたことになります。

そもそも戦争は、正義と正義の戦いです。
どちらも正義を主張するから戦争になる。
軍人は祖国の正義のためにロイヤリティ(忠誠心)を発揮して戦う。
だから戦死者は勝敗を超え、敵味方を超越して尊敬されるのです。
外国軍隊が日本に来た時、必ず靖国神社に参拝するし、
日本軍人(自衛隊を含む)も海外諸国を訪ねた時には国立墓地に参拝します。
これが国際間のマナーなのです。

一昨年北京の国防大学で歴史認識をめぐって論戦しました。
そしたら国防大学の教授が、
「戦争の責任は双方にあるのに、日本人は、
 責任は日本にあると決めてかかるのでお話にならない」
と笑っていました。
その教授はアメリカに留学し、駐在武官の体験者だから、
戦争の見方も中国人と違って客観的なんですね。
村山富市首相は平成7年8月15日「首相談話」を発表しました。
その談話というのは
「我が国は遠くない過去の一時期、植民地支配と侵略により、
 多くの国々、とりわけアジア諸国に損害と苦痛を与えたこと
 を反省し、お詫びする」
という趣旨でした。
私は「チャンネル桜」の私の番組でこの談話を掲示し、
出演した学生たちに、この談話を批判させました。
現代の学生は「世界史」を必修にしているし
入学試験も世界史で合格しているから鋭いです。
彼らは言います。
「この談話の“遠くない過去の一時期”がいつの頃かわからないし、
 植民地支配と侵略を行ったのは欧米諸国である。
 だから“我が国は”という主語を“欧米諸国は”
 と入れ替えたら正しい文章になる」と。

それに対して私は言いました。
「我々日本人がお詫びするのは近隣の諸国に対してではない。
お国のために尊い命を捧げられた英霊に対してである。
現代の日本人は、戦死者を“犬死”とさげすみ、
大東亜戦争に参加されたのに太平洋戦争に参加されたように言う。
自存自衛と東亜解放の聖戦に出陣されたのに、
教科書にまで侵略戦争と断言して今日に至っている。
ある戦没者遺族が言っていた。
“いつまで英霊をバカにしたらすむんですか。
 このままゆけば必ず怨霊の祟りが起こりますよ。
 もう起こっていますが”と。
我々がお詫びする対象は外国に対してではなくて
靖国の英霊に対してではないか」と。
この番組の反響は良かったですよ。
思いもかけず大学生たちが「村山談話」の批判をやりましたからね。
以上のような思いが
『昭和の戦争記念館』(全五冊)刊行のエネルギーでした。
私は毎日のようにある戦争未亡人の歌を口ずさんでいます。

1.この果てに 君あるごとく 思われて

  春のなぎさに しばしたゝずむ


2.かくばかり みにくき国に なりたれば

  捧げし人の たゞに惜しまる



英霊の化身か、ある母の訴え

私が、ある所で講演して終わった時、腰のまがった九十歳近い老婆が、
何かにつかまりながら起ちあがった。
彼女は肩をふるわしながら、のどをひきさくような声で訴えた。
話し方はたどたどしかったが、
生涯のエネルギーをふりしぼったような悲泣の叫びであった。
とても文字では伝えられない内容だが・・・。

「私は長男を、フィリピンで戦死させました。
 人の命は地球よりも重いという人がありますが、
 わが子を失った以上の悲しみがありましょうか」
“靖国の宮にみ魂はしずまるもおりおりかへれ母が夢路に”
 あの子は今も出征した時の凛々しい姿で、何度も夢枕に立ちます。
 私はここ四十年間、毎日陰膳を供えてきました。
 ところが、これから使われる教科書は、
 “侵略”と書くそうですね。
 私の子は侵略戦争をやったんですか。
 あの頃の日本人みんな侵略戦争にとり組んだんですか。
 どうして日本が悪かったと教えなければ、いけないんですか。
 私はこのことを聞いたら、何日も眠れませなんだ・・・。
 敗戦直後は、犬死とさげすまれ、
 今度はもっと不名誉な侵略者にされてしまいました。
 戦死者をどれだけバカにすれば、気がすむんですか。
 ・・・グチはこぼしたくありません。
 せめて私だけでもあの世へ行って、
 “お前はよくやった”とほめてやります。
 ・・・よろしくお願いします」

終わりのへんは涙にかき消されて聞きとれず、
聴衆は寂として声はなかった。
最後の「よろしくお願いします」という一言は、
私に対する遺言ともとれた。
この母の叫びは、一人の戦没者の母のものではない。
二百十万の遺族の魂の叫びでもある。
それはまた多くの戦友や同胞を失った我々日本人の魂につきささる。
靖国の神々はいま、大和島根の空を天がけりながら、何を思うか。
わが祖国のために尊い身命を捧げた英霊の心を教えずして、教育と言えようか。
そもそも教育は国民のためにある。
日本人の日本人による日本のための
教科書を願って(教科書はタダで配られている)、税金も払われている。
たしかにわが国の歴史を「侵略」と書けば、中国側は満足するであろう。
しかし真剣に生きてきた日本国民を、このように泣かせるである。
これが果たして近隣諸国との友好になるのか。
真の友交とは、主権尊重、 内政不干渉の原則に立って、
相互の戦争論を公平に理解しあう所にあるのではないか。

〜「反日国家・日本」はしがきより〜



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